☆ 官 邸  日 記 ☆ ― Prime Minister Of Japan’s Diary ? ―
2004-08-27
 
【平成16年8月26日(木)】
【午前】10時11分、東京・東五反田の旧正田邸跡地に完成した公園「ねむの木の庭」を見学。 10時31分、官邸で谷垣財務相、細川財務次官。続いて甘利明衆院議員。 11時30分、森本公誠東大寺別当。
【午後】1時35分、新高輪プリンスホテルで故鈴木善幸元首相の内閣・自民党合同葬。 4時47分、官邸で経済財政諮問会議。 7時10分、冬柴 公明党幹事長。 7時56分、六本木ヒルズ内の日本料理店「小山」で扇参院議長と、青木参院議員会長、草川 公明党参院議員会長ら与党 参院幹部。 10時13分、高輪プリンスホテル着。宿泊。


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総理の北方領土視察が9月2日と決定。航空自衛隊入間基地(埼玉県)から空路、根室入りし根室 花咲港から海上保安庁巡視船に乗船し海上から視察予定。午後、根室市の道立北方四島交流センターで元島民らと懇談。

現職総理の北方領土視察は過去2回、平成13年の森喜朗前総理と昭和56年の故鈴木善幸元総理。いずれも航空機等による上空視察だった。

その鈴木善幸元総理(7月19日死去)の内閣・自民党合同葬が、26日 東京都港区の新高輪プリンスホテルで営まれ、皇族・歴代総理はじめ海外・国際機関などから2千人が参列。

『等しからざるを憂える』という政治理念で昭和55年6月のハプニング解散-衆参W選挙中の大平総理急逝後の党内混乱のなか「和の政治」を掲げ総理就任、挙党体制確立に腐心した。

初当選時は旧日本社会党所属、2回目の選挙から地元後援者の要請で保守政治家に転身。岩手県の網元の出身であったこともあり、長年にわたり農林『水産』族として活躍、日ソ漁業交渉など農相(当時はまだ農水省ではなかった。初代農水大臣は中川一郎氏)として尽力。また、自民党内ではウルサ型ばかりの総務会を束ねる総務会長を何度となく歴任、党内融「和」の達人でもあったが、ときには三木内閣末期のいわゆる「三木おろし」時、江崎真澄元副総理などと「挙党協」設立し倒閣の先頭に立ったこともあった。

名前の通り善人で「ゼンコー」さんと愛称で親しまれ、本当によい人であったが総理としては米国の不興を買い退陣せざるを得なかったのは不本意であったかもしれない。

後任の中曽根総理が当時のレーガン米大統領との「ロン・ヤス」の個人交流を核に親米政権として「不沈空母」発言まで飛び出すタカ派路線まっしぐら。これは現総理とブッシュ大統領との関係とも酷似。

結局、戦後60年近く経ても米国の顔色を伺いながらの政権運営、何も沖縄県に限ったことではなく日本全土がいまだにGHQ軍政下並みであるかもしれない。

「その通り !!」と頷き相槌をうつは『2015年 日本復活ビジョン』を発表し30日告示 民主党代表選挙での無投票再選を狙う岡田克也 現代表。

だが、あなたも参院選勝利(?)後の初の臨時国会をすっぽかし訪米。

帰国後、小沢一郎前代表代行に『イッチャン』モンつけられたではありませんか・・・・・ ?

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