☆ 官 邸  日 記 ☆ ― Prime Minister Of Japan’s Diary ? ―
2004-09-03
 
【平成16年9月2日(木)】
【午前】午前6時34分、公邸発。52分、東京・市谷の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地着。午前7時7分、航空自衛隊のヘリコプターで市ヶ谷駐屯地発。28分、埼玉県狭山市の空自入間基地着。7時52分、空自航空機で入間基地発。9時45分、陸自ヘリで中標津空港発。10時7分、北海道根室市の空自根室分屯地着。11分、同分屯地発。29分、根室市の花咲港着。37分、洋上からの北方領土視察のため、海上保安庁の巡視船「えりも」で花咲港発。茂木敏充沖縄・北方担当相、高橋はるみ北海道知事らが同行。

【午後】3時45分、北方領土視察を終え、花咲港着。56分、花咲港発。4時15分、根室市の北海道立北方4島交流センター着。元島民らと対話集会。茂木沖縄・北方担当相、高橋知事、藤原弘根室市長らが同席。5時24分から同29分まで、北方4島交流センターの2階展望室で報道各社のインタビュー。36分、同所発。48分、根室分屯地着。51分、陸自ヘリで同分屯地発。6時12分、中標津空港着。26分、空自航空機で同空港発。8時11分、入間基地着。17分、同基地発。9時29分、公邸着。


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現職総理として初の海上からの北方領土視察が無事終了。北朝鮮 平壌でも何処でも電撃訪問し、世間をアッと驚かす総理ならば「北方領土」にも上陸、訪問してもらいたかったのだが・・・・・・。

来年(2005年)、「日露通好条約」調印から150周年を記念してプーチン露大統領訪日を控え、ロシア側を刺激したくなかったからだろうが、先の沖縄の米軍基地問題とともに「北方領土」問題は第二次大戦後の戦後処理、未解決懸案。元島民の悲願成就に国民世論をさらに大きくするべきと考える。

『北方領土の日』をご存知だろうか ?
昭和56年(1981)1月6日の閣議了解のもと、毎年2月7日を『北方領土の日』として早期返還を実現するため、国民ひとりひとりが正しく「北方領土」問題を認識して返還運動を盛り上げ、国際世論を喚起するために制定された。

なぜ、 『2月7日』なのか ?
徳川幕府とロシア政府が伊豆下田で正式に「日露通好条約」を調印したのは、旧暦の安政元年(1855)12月21日である。現在の太陽暦に直すと「2月7日」にあたる。

また、自民党は「9月3日」を『ロシアの北方領土不法占拠に抗議する日』として党を挙げて返還要求運動を展開する。

同様の質問だが、なぜ、「9月3日」なの ?
昭和20年(1945)8月、「日ソ中立条約」を一方的に破棄しソビエト連邦(当時)は連合国側として対日参戦、「北方領土」に侵攻。ポツダム宣言受諾後、9月2日に米軍艦ミズリー号艦上において降伏文書に調印したにもかかわらず、翌3日以降もソ連は軍事侵攻を継続し現在に至るまで「北方領土」を不法占拠し続けている。

挙国一致して、わが国、固有領土の早期返還を要求するのは当然。国際世論を大いに喚起する努力とともに政府に対して、粘り強い平和・友好的な外交交渉をお願いしたい。

一方、ロシア側は「平和条約締結に懸念」と強い不快感を表明。「ミスター・ニエット」といわれた故グロムイコ外相に代表されるタフ・ネゴシェーターばかりのロシア外交はなかなか一筋縄とはいかない。

「小泉マジック」のネタ切れ寸前に新たに飛び出した「北方領土」返還と平和条約交渉締結問題。

洋上視察時、総理がフト漏らした「霧、もやがかかってよく見えない !!」

今後の内閣の命運を予見するような印象的な言葉だ。

はたして今日の乗船は、総理にとって 『 大船 』 であったか 『 泥船 』 となるのであろうか・・・・・・・・・?

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