☆ 官 邸  日 記 ☆ ― Prime Minister Of Japan’s Diary ? ―
2004-11-07
 
【平成16年11月6日(土)】
【午前】9時40分、公邸発。10時、東京・市谷本村町の防衛庁着。自衛隊殉職隊員追悼式参列。30分、防衛庁発。10時51分、公邸着。

【午後】東京・品川の公邸。来客なし。


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「ハラケン」さんこと原健三郎 元衆議院議長が97歳の天寿を全うされた。
ご逝去を心より悼み、謹んでご冥福をお祈り致します。

故原健三郎氏は兵庫県北淡町生まれで昭和6年早稲田大学卒業後、米国オレゴン、コロンビア両大学留学。
帰国後、講談社入社し雑誌編集長などを経て昭和21年4月の戦後初の総選挙で初当選、以来連続当選20回。

佐藤内閣で2度、労相(昭和43・46年)を務め鈴木内閣では国土庁長官(昭和55年)を歴任、昭和61年7月「死んだふり解散」による第38回総選挙(衆参同日選)後、第65代 衆議院議長に就任。
平成8年には尾崎行雄氏、三木武夫元首相に続き憲政史上3人目の国会議員在職50年表彰を受け、平成12年に93歳で政界引退。

ユニークな政治家だった。歯に衣着せぬ「ハラケン」節、時には物議を醸したが、ひとなっこい目とユーモア一杯の言動に回想が過ぎる。

2度目 労相時の昭和47年1月、地元兵庫での成人式祝辞で「感謝の念を忘れると養老院行き !!」と脱線し労相辞任。でも、今では当たり前の『週休2日制』導入を積極的に推進したのも米国遊学経験者「ハラケン」さんの功績大。

中曽根政権での衆参W選挙で衆院300議席という絶対安定過半数時に衆院議長に就任するも売上・消費税と税制問題での与野党攻防、リクルート問題など疑獄事件も発覚、厳しい国会運営を強いられ平成元年度 予算案の強行採決時の議会混乱責任を取り多賀谷副議長(社会党出身)ともども約1ヶ月、与野党からの辞任圧力に抵抗する粘り腰を見せたが辞任。

自民党内で高齢・多選批判から定年制導入が叫ばれると「生涯現役、死ぬまで議員はヤメん。ヤメさせたければ殺せ !!」と怪気炎。

最後の当選(20回目・平成8年)は、小選挙区で落選し敗戦の弁で土下座中、復活当選の報が入り逆転バンザイに。

本州と地元、淡路島そして四国を結ぶ本四架橋建設に政治生命をかけ実現に尽力。

自らシナリオ執筆した日活アクション映画、小林旭主演『渡り鳥シリーズ』の如く、党内派閥的には大野派、船田派、中曽根派と渡り歩いた「派閥渡り鳥」。

戦後保守政治を代表する個性ある老政治家が、またひとりいなくなった。

あらためてご冥福をお祈り申し上げます。


合  掌

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