☆ 官 邸  日 記 ☆ ― Prime Minister Of Japan’s Diary ? ―
2004-11-13
 
【平成16年11月12日(金)】
【午前】8時41分、公邸発。58分、国会着。9時1分、閣議開始。14分、閣議終了。15分、町村信孝外相、大野功統防衛庁長官、細田博之、二橋正弘正副官房長官。40分、国会発。42分、官邸着。11時2分、シュワルツェネッガー・米カリフォルニア州知事。

【午後】12時1分、報道各社インタビュー。4分、全国知事会議午さん会開始。25分、全国知事会議午さん会終了。26分、全国知事会議開始。2時4分、全国知事会議 途中退席。23分、田中均 外務省外務審議官、小松一郎欧州局長。3時30分、ブロンダール・アイスランド国会議長。5時4分、竹中平蔵経済財政担当相。33分、司法制度改革推進本部顧問会議開始。55分、司法制度改革推進本部顧問会議を途中退席。58分、兼元俊徳内閣情報官、飯原一樹 防衛庁防衛局長、太田文雄情報本部長。7時、報道各社インタビュー。5分、官邸発。16分、公邸着。


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「オィ、香典いくら包む。もう一人、アブナイのもいるしな !!」

久方ぶりに(ブラック)ユーモア好きの知人から電話あり。

若しかして、共通の友人の誰かが・・・・ ? 、と頭の中でいろいろな人の顔(失礼)を思い浮かべていると「ヤセルだよ。」と一言。

「ヤセル ?」、より一層、頭の中はパニクッタ。

『ヤセル・アラファト』 ― パレスチナ自治政府 議長。11日午前3時半(日本時間同11時半)、フランス・パリ郊外のペルシー軍病院で死去。享年75歳。

ご冥福を祈る。

カイロ大学で工学を学び50年代末、後にPLOの主軸となるゲリラ組織ファタハ創設に参加。69年にPLO議長になった後は幾多の政治的、身体的危機をくぐり抜け、中東の不死鳥と呼ばれ35年にわたりパレスチナ国家建設を率い、ノーベル平和賞も受賞。10月上旬から体調を崩しパリ郊外の病院、集中治療室に入院中だった。

アラファト議長の死去により、パレスチナ指導部内に権力闘争が生じれば、先の見えない中東和平がますます混迷する。

総理は「日本政府と国民を代表し、心から哀悼の意を表する。」との談話発表。

昭和56年以来、6度来日のアラファト議長の葬儀は12日、カイロで行われるが、政府は川口順子首相補佐官(前外相)を政府特使として派遣決定。

ところで、「もう、ひとりアブナイって ?」

外報部あがりの知人曰く、「ケネディと一触即発だっただろ。こちらも肩書きは議長だよ !!」

知人からのヒントを得て、もう一人のアブナイ議長国産ハマキをホッと燻らせた。

今日はケムに巻いたハナシで     - THE END -

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