☆ 官 邸  日 記 ☆ ― Prime Minister Of Japan’s Diary ? ―
2004-12-20
 
【平成16年12月19日(日)】
【午前・午後】東京・品川の公邸。終日、来客なし。


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政治が「混合診療解禁」、「臓器移植法」云々などと空疎に論じているうちに医学の進歩は顕著、人の生き死にを数日、コントロールすることぐらい容易だ。

高松宮妃喜久子さま ご逝去。

謹んで哀悼の意を表します。

高松宮妃喜久子さまは、明治44(1911)年12月26日、徳川15代将軍慶喜の七男で継嗣となった旧公爵・徳川慶久氏の二女としてご出生。女子学習院本科卒業後、昭和5年2月、大正天皇の三男 高松宮宣仁殿下と結婚。

皇族有栖川宮家出身の実母、実枝子さまを昭和8年、42歳の若さで癌で亡くされたご体験からその半生をがん撲滅活動に取り組まれた。昭和43年春、財団法人「高松宮妃癌研究基金」設立、名誉総裁就任。以後、基金をもとに学術賞贈呈と研究助成を続けられた。

昭和62年、夫君の高松宮宣仁殿下を肺がんで失くし、継嗣なく高松宮家も途絶えることになる。

畏れ多いことであるが、昭和天皇ご崩御のときもそうであったように御隠れ(お亡くなり)になる日時が極めて作為的に感じはしないであろうか ?

新潟県中越地震に配慮、当初11月初旬発表であった紀宮清子さまのご婚約内定発表当日早朝のご逝去でまたもやの延期。

たまたまと言えばそうなのだが、恣意的な見えない力の存在を察するのは杞憂か ?!

亡くなった高松宮妃喜久子さまも紀宮さまご婚約発表を病床から心待ちにされていたとの由。

【 慶 喜 】なことで国民の【 大 勢 、 好 感 】をもって歓迎する、喪明けのご婚約正式発表が待ち遠しい。

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