☆ 官 邸  日 記 ☆ ― Prime Minister Of Japan’s Diary ? ―
2005-03-07
 
【平成17年3月6日(日)】
【午前・午後】東京・品川の公邸。終日、来客なし。


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「当面は(プーチン・ロシア)大統領の早期来日に専念し、総理の出欠はその後の判断で・・・・。」と異口同音に日本政府・外交筋のハナシ。

ロシア政府から要請の5月9日、モスクワでの「対独戦勝60周年式典」への総理出席依頼の返答を引き伸ばしている、外交用語で「回答留保」。

プーチン大統領の訪日日程も全く決まらず、北方領土返還の道筋も未だ不透明の中、総理がシッポを振り喜んでモスクワへ飛べば、弱腰だとの国内批判は不可避。

「ニエット(NO) !!」と言うのは簡単だが、ロシア側態度を一層硬化させるのは必至、プーチン来日は遠のくばかり。

日本側対応・判断の苦悩はギリギリまで続く・・・・・・。

今年は明治37・38年の戦役(日露戦争)終結より100年、小村寿太郎全権(外相)がセオドア・ルーズベルト米国第26代大統領の斡旋で米ニューハンプシャー州・ポーツマスで講和条約を締結したのは明治38年(1905)9月5日。(条約締結時使用の机は、愛知県犬山市の博物館 明治村に現存。)

ロシア側も偶然とはいえ、節目の年に北方領土など難問山積の日本へ万博表敬訪問とは簡単にはいかぬ事情もあるのだが・・・・。

今も昔もアノ国は『あぁ、おそロシア、おそロシア』、一筋縄ではいかぬ国 ?!

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