☆ 官 邸  日 記 ☆ ― Prime Minister Of Japan’s Diary ? ―
2005-05-28
 
【平成17年5月27日(金)】
【午前】8時26分、公邸発。27分、国会着。31分、閣議開始。59分、閣議終了。9時、町村信孝外相。4分、谷垣禎一財務相。6分、国会発。7分、官邸着。10時25分、安倍晋三 自民党幹事長代理、塩崎恭久衆議院議員ら。11時4分、柴田進駐アンゴラ大使、片岡林造駐ギニア大使。

【午後】12時1分、報道各社インタビュー。3時、武部勤自民党幹事長。46分、甘利明自民党知的財産政策小委員長ら。4時1分、兼元俊徳内閣情報官、飯原一樹防衛庁防衛局長、椋木功統合幕僚会議情報本部長。35分、中川秀直自民党国対委員長。58分、官邸発。5時4分、東京・日比谷公園の日比谷公会堂着。自民党 都議選必勝総決起大会 出席、挨拶。15分、日比谷公会堂発。21分、官邸着。35分、杉浦正健官房副長官。6時15分、報道各社インタビュー。41分、官邸発。42分、公邸着。


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「『エッ !! 、うそだろ』という感じ。横井(庄一)さんや小野田(寛郎)さん(発見時)と似たような衝撃を受けた、よく今まで生きて頑張ってきた。生きておられるのなら、本人たちの希望がかなえられるようにしたい。」と総理。

戦後60年の節目、フィリピン・ミンダナオ島山中に2名の元日本兵生存情報。
政府は在フィリピン大使館員を首都 マニラからミンダナオ島ジェネラルサントスへ派遣、面談・安否確認を急がせたが未だ確認報告は入っていない。

また、その他にも2名の元日本兵生存情報が厚生労働省 社会・援護局調査資料室に昨秋、戦友会団体からもたらされている。

断片情報から2名の元日本兵は、昭和18年6月に朝鮮・平壌で編成の旧日本陸軍 第30師団(「豹兵団」・総員約1万6,000人) 捜索第30連隊所属の第2中隊長、山川吉雄中尉(87歳)[大阪市西区出身]と中内続喜伍長(85歳)[高知県越知町出身]ではないかと推測される。

当初、第30師団は対ソ連戦に備え編成された精鋭師団だったが、昭和19年4月に南方戦局悪化によりミンダナオ島守備のため出動命令。

捜索第30連隊は470人規模の偵察部隊、昭和19年6月、ミンダナオ島派遣、密林や山岳地帯で偵察活動を行ったが、昭和20年3月に米軍がミンダナオ島上陸し米軍制空下、島内各所で激戦、ゲリラ戦突入し最後は「切り込み突入」。

精鋭師団の8割が戦死、捜索第30連隊も473名中、帰還者は186名。勝敗が決してからも旧日本軍将兵にはマラリアなどの伝染病や飢えに苦しめられ終戦。

山川中尉、中内伍長は現在「戦死」扱いとなっており帰国実現ならば戸籍復活等の手続きが必要。

また別情報の元日本兵2名のうち一人は、第30師団 第4野戦病院所属 桜井令一軍医中尉(92歳)と推測、「ワタナベ」と名乗る元兵士の詳細不明。

今年2月、旧日本陸軍 第30師団所属 戦友会から厚生労働省 尾辻大臣宛に救出を求める嘆願書が出されていたのだが、元日本兵発見の第一報が昨夏、日本にもたらされていたにもかかわらず正確でないと放置、「戦後60年」・「日・中・韓の歴史感」・「総理靖国参拝問題」・「A級戦犯分祀」など国内外で大東亜戦争関連の様々な問題が再燃、提起されるなか突然の発表に官邸情報操作の疑念を拭い去ることができない。

国に対する忠誠心一筋で自らの半生を犠牲に異国の地で戦い続けてこられた元兵士の方々の苦難を思うと敬意と平和日本の礎として現在、私たちが安全・安定した国で生活できることを感謝する以外、申し述べる言葉もなし。

「日本に生きて帰ると、軍法会議にかけられて銃殺される !!」と当初、帰国はおろか、所属・名前を明かすことも拒んだという元日本兵。

昭和47年1月、米グアム島から帰還の元日本兵 横井庄一氏(名古屋市中川区出身)の帰国第一声は『 恥ずかしながら・・・・・・ 』

今回帰国(予定)の元日本兵の方々に『 恥ずかしながら 』と申さなければならないのは戦後60年、軟弱・混乱の日本社会に生きる我々ではないか。

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