☆ 官 邸  日 記 ☆ ― Prime Minister Of Japan’s Diary ? ―
2005-07-04
 
【平成17年7月3日(日)】
【午前・午後】東京・千代田区永田町の公邸。終日、来客なし。


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「日本の伝統文化は大将だろうが一兵卒だろうが、亡くなったらすべて神様になる。死生観の違う国から(分祀しろと)言われることはどうかなと思います。」

「(極東国際軍事裁判は)『平和への罪』といった事後法を適用しており、国際法に反する裁判。自衛のために立ち上がる戦争が罪なのでしょうか ?」とテレビ生出演で祖父、東條英機元総理について語る孫の東條由布子さん。

たとえ様々に評価をされる人物でもご先祖様を悪く言う子孫はいない。

戦後、東條家が歩む苦難の道は筆舌に尽くしがたい。

「東條(英機)の孫は担任できない !!」と教壇上に見せしめに立たせ祖父(東條元総理)は『 極悪人 』だとクラス児童全員に聞かせる教師。

「(疎開先の)村から出て行け !! 、配給品は渡せない。」と疎開先の村人。

「東條君、A級戦犯の息子が在職しているのはマズイ、退職してくれ !!」と迫る会社上司。

戦争指導者として日本国民に対する政治責任までも孫、東條由布子さんは否定しない。
ただ、近隣諸外国からの圧力により大東亜戦争の真の歴史的経緯を知らない戦後生まれの大半の国民が間違った認識を示し外国政府の思惑通り世論操作される危険性を訴えているのも事実。

東條元総理はじめ東京裁判により戦争指導者と認定、A級戦犯として処刑された殉国七士のみが戦争責任者で、その他の日本国民も近隣諸国民とともに被害者であるという考えには大きな疑問を呈す。

戦争責任は開戦時の全ての日本国民が共通して持つべきもの、責任の軽重はその人の当時の立場により異なるものと考えるのだが・・・・・・・。


『 我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 』(東條英機元総理 辞世)

昭和23年12月23日 絞首刑執行

 合 掌


※ 60年前は「 本 土 決 戦 」 、本日は「 首 都 決 戦 」

どちらも強硬な超タカ派的指導者が君臨、果たしてその結果は如何に・・・・・ ?!

それにしても作家出身、タカ派都知事も東條元総理遺言を著書表題とした孫の方もかなりの雄弁である。

因みに著作名は『 一 切 語 る な か れ !! 』だ。

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