☆ 官 邸  日 記 ☆ ― Prime Minister Of Japan’s Diary ? ―
2006-01-14
 
【平成18年1月13日(金)】 〈 外遊日程詳報 〉
(12日=現地時間)


【午後】政府専用機にてイスタンブール・アタチュルク空港発、帰国の途に。


(13日=日本時間)


【午後】1時32分、トルコ訪問を終え、政府専用機にて帰国、羽田空港着。43分、羽田空港発。2時6分、皇居着。帰国の記帳。11分、皇居発。20分、官邸着。23分、沓掛哲男防災担当相、佐藤信秋国交事務次官ら。48分、安倍晋三官房長官 加わる。3時15分、長勢甚遠、鈴木政二、二橋正弘各官房副長官ら。5時7分、報道各社インタビュー。15分、官邸発。16分、公邸着。


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「日本の航空会社が特別機を飛ばせず、あなたが任務を引き受けてくれなければ救出できなかった。砲弾の飛び交う中での救出に、日本人は皆『 感 動 』した !!」とお得意の表現を使い、トルコ人元機長の勇敢さを讃える総理。

日本への帰国直前、昭和60年3月 イラン・イラク戦争時、テヘランに取り残された216人の日本人救出のため自らの危険をかえりみず特別機を飛ばしたトルコ航空 元機長アリ・オズデミル氏と会い、感謝の意を伝える総理。(この救出劇は、NHK『プロジェクトX』でも放映)

「救出は任務だった、その後、イスタンブールと成田を結ぶ直行便の機長も務めた。今は余生を過ごしているが、孫がパイロットを目指している !!」と20年前を懐かしく語るオズデミル元機長。

古くは明治23年 トルコ軍艦「エルトゥールル号」が、和歌山県串本沖で遭難、明治天皇への使節団650人のうち僅か69人のみが地元民の懸命なる救出で助かる。遭難者の捜索はじめ死者の弔いなど、開国間もない日本において、国境を越えた人道活動はオスマン・トルコ帝国 アブドル・ハミト2世はじめ多くのトルコ国民の心を打ち、トルコの歴史教科書にも記載されているとのこと。

その後も南進をはかる大国 ロシア帝国に無謀にも立ち向かった極東アジアの新興小国 日本が日露戦争時、日本海海戦(明治38年5月27日)でロシア バルチック艦隊を撃滅。

同じくロシア南下政策の脅威に怯えていたトルコ国民も自国の大勝利の如く喜び、ビール名に時の連合艦隊司令長官 東郷平八郎元帥の名を付ける程とは本ブログ既報の通り。

近隣国や世界各国から余りよく言われないわが日本にとって、トルコは古くからの打算を越えた正真正銘の友好国。

ボスポラス海峡横断 地下鉄整備区域を船上視察した総理、平成23年開通予定の地下鉄整備事業にも1,000億円以上の円借款供与が行われていることもご理解頂きたい。

それにしても、百年前は、無謀にも大国 ロシア相手に戦いを挑んだ勇猛果敢さをトルコ国民から讃えられた日本人が、百年経つとミサイルが恐いからと自国民救出の飛行機までも外国機チャーターの腰抜けに。

日本の将来を案じ、お国のためと特攻で散華した若き青年たちの遺志は、『 平 和 日 本 』の礎として活かされたのか ?

総理の靖国参拝の意義は筆舌に尽し難き重みを感ずる。

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