☆ 官 邸  日 記 ☆ ― Prime Minister Of Japan’s Diary ? ―
2006-05-11
 
【平成18年5月10日(水)】
【午前】10時30分、公邸発。31分、官邸着。11時3分、貴賓室。7分、官邸南庭 散策。8分、報道各社インタビュー。10分、政府インターネットテレビ 収録。

【午後】2時、中川昭一農水相。3時、飯村豊駐フランス大使ら。54分、漆間巌警察庁長官。4時33分、朝日新聞コラムニスト 船橋洋一氏。5時19分、報道各社インタビュー。22分、経済財政諮問会議開始。7時40分、経済財政諮問会議終了。49分、報道各社インタビュー。53分、官邸発。55分、東京・永田町のキャピトル東急ホテル着。村儀理容室にて散髪。8時41分、キャピトル東急ホテル発。9時2分、東京・白金台の故松野頼三元自民党総務会長宅着。弔問。4分、故松野頼三元自民党総務会長宅発。18分、公邸着。


 ― ☆ ☆ ★ ☆ ☆ ―


「非常に惜しい方を亡くした !!」

「最近も電話で話したばかりなんです。『よく(首相を)5年やってきたね』とか。よくご指導いただき、聞くと分かりやすく教えてくれた。政局の動き、権力闘争。自らやってきた人でしょう。私を息子みたいに思ってくれたのかな。あれだけざっくばらんに、人に言えないようなことを教えてくれる先生はいなかった。」としんみりと故人を語る総理。

「政界の寝技師・策士」との異名を持つ総理の指南役、松野頼三元自民党総務会長(89歳)が死去。

故松野頼三氏は、吉田茂元総理の政治指南役であった松野鶴平元参議院議長の三男。公職追放を受けた父に代わり昭和22年の総選挙に旧熊本1区から初当選、以後15回当選を重ねた。

昭和33年、第2次岸内閣の総理府総務長官として初入閣以来、労相、防衛庁長官、農相歴任。三木内閣では自民党政調会長、総務会長を務めた。

ダグラス・グラマン事件(昭和54年)で5億円受領の道義的責任をとり議員辞職、直後の総選挙に無所属で出馬するも落選。

しかし、翌年のいわゆる大平総理急死の衆参同時選挙で帰り咲き復党、平成2年冬の総選挙で落選、政界引退。

最近では、戦後保守政治の語り部としてマスコミに頻繁に登場、小泉総理の政治指南役としても影響力を発揮、「小泉には過去の政局、政権人事の失敗例、成功例を全て話した。」と周辺に語るほど現総理を可愛がった。

「最近は小泉総理のご意見番として、ただ一人総理に苦言を呈する貴重な存在だった !!」と衆院初当選が同期だった大勲位 中曽根康弘元総理。

『 歴史は繰り返すではないが、人間は必ず同じような局面(政局)になるとまた、同じ行動をとる !! 』が口癖、これはホント、永田町ではよく当てはまる格言だった。

松野頼三先生の思い出話は、回想すれば尽きぬものばかり・・・・・。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

本日は、若い人には理解できないほど古い戦後保守政治裏面史の生き証人だった方のハナシ。

頼三先生の父君 松野『 鶴 平 』元参議院議長を【 ズ ル 平 】と言う方は、もうこの世にはいらっしゃいませんでしょうナ ?!

Comments: コメントを投稿

<< Home

Powered by Blogger