☆ 官 邸  日 記 ☆ ― Prime Minister Of Japan’s Diary ? ―
2006-08-24
 
【平成18年8月23日(水)】
【午前・午後】東京・千代田区永田町の公邸。終日、来客なし。


 ― ☆ ☆ ★ ☆ ☆ ―


1人が脱落、『 麻 垣 三 』となった自民党総裁選。

安倍当確で、興味は「 2着は誰だ ? 」に移りつつある季節は処暑を迎えた永田町。

有力3候補以外にも自民党総裁選に意欲を示し、孤軍奮闘中(失礼 !!)の若手議員を紹介しよう。

昨日(22日)に横浜市内で開催された自民党「南関東・北関東 合同ブロック大会」

マスコミは、初めて『 麻 垣 三 』の3氏が、一堂に会したと大々的に報じていたが、壇上揃い踏み五人衆のちょうど真ん中に、ひとりクールビズ、ノー上着・ネクタイで、サスペンダーがお似合いのチョットお洒落な好青年がいた。

『 麻 垣 三 』+名門 鳩山家出身、鳩山邦夫元文相(鳩山氏も総裁選出馬に意欲)という華麗なる政界人の中で、ひと際若い43歳、河野太郎法務副大臣(神奈川15区・当選4回)だ。

『 河 野 太 郎 WHO ? 』という方も多いかもしれない。

河野洋平衆議院議長の長男、自民党の実力者だった故河野一郎元建設相(大勲位 中曽根元総理の師匠)の孫といえば、お分かりだろうか。

4年前には、肝臓の悪かった父 洋平氏に自らの肝臓を生体肝移植したこともあり、臓器移植関連の法整備や環境問題(原発使用済み核燃料再処理)では党内きっての専門家である。

もともと河野家は、神奈川県旧足柄郡(現在の小田原市)の大地主、太郎氏の曽祖父 治平氏は、東京帝大卒業後、地元村議を振り出しに村長、郡会議員、神奈川県議会議長まで登りつめた。

その子 一郎氏は、早大卒業後、朝日新聞記者から昭和7年(1932)に衆議院議員初当選、戦前・戦中は反東條。

戦後、鳩山一郎氏とともに自由党結成、初代幹事長となるも公職追放の憂き目に・・・・・。

公職追放中は実弟 謙三氏(後の参議院議長)が、身代わり代議士に。
追放解除後は、日ソ国交樹立や東京オリンピック開催に多大なる貢献、自民党実力者として「次は総理」という直前に心疾患にて無念の急逝。

後を継いだ父 洋平氏も自民党総裁唯一の総理未経験者。

この辺の境遇は、何やらシンゾ~お坊ちゃまとあい通じるものありか。

今回の自民党総裁選、正式出馬表明、政権構想発表を最初にしたのは河野太郎氏だったが、同派閥に同じ「太郎」の麻生外相がいることもあり、推薦人集めに苦労、世論調査での数字によっては自ら立候補辞退、麻生氏支持に回るとの約束で、現在、精力的に全国遊説中だ。

その河野氏が、自らのメルマガ『 ごまめの歯ぎしり 』の中で、【 もし、国民だれもが自民党総裁選の推薦人になれるというルールだったら、あなたは河野太郎の推薦人に名を連ねますか? 】とのテーマでコメント募集中 !!

興味ある御仁は、『 河野太郎の国民推薦人、募集中! 』(http://www.taro.org/blog/)まで。

― ガンバレ ! 、もうひとりのタロ~ちゃん !! ―

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