☆ 官 邸  日 記 ☆ ― Prime Minister Of Japan’s Diary ? ―
2009-07-08
 
【平成21年7月7日(火)】 〈 外遊日程詳報 〉
(7月7日=現地時間)


【午前】日本航空 特別機にてイタリア・レオナルド・ダビンチ国際空港着。ローマ市内 宿泊先「ホテル・デ・ルッシー」。

【午後】ローマ法王庁。ローマ法王ベネディクト16世、ベルトーネ国務長官と会談。


 ― ☆ ☆ ★ ☆ ☆ ―


【 誤 録 & 異 見 ・ 斜 説 ・ 快 説 】

「 1954年(昭和29年)に祖父の吉田茂首相が歴代首相で初めて(当時の)法王にお会いした。国際情勢の安定や人類共通の問題解決に向けて協力したい !!」
(麻生太郎内閣総理大臣)


「カトリックの家系である首相と会えてうれしい。世界経済危機に影響を受けている国への支援やアフリカなどの開発問題解決への日本の貢献に期待している !!」とお言葉を賜り、クリスチャンとして最高の栄誉である法王と法王宮殿内図書室にて謁見、小型ビデオカメラ献上。

ここまで、衆院解散・総選挙を『政局より政策』と引き延ばした甲斐があったフランシスコ・太郎、あとの、主要国首脳会議など付け足しだもんネ ?!

1954年(昭和29年)、佐藤栄作自由党幹事長(当時)の収賄罪での逮捕許諾請求に、吉田茂(総理)の指示を受けた犬養健法相(当時)が『指揮権発動』、いわゆる造船疑獄による政局不安定が続く中、吉田総理は、米・加、欧州7ヶ国外遊に出発。

総理不在の長期外遊中に、「政界一の寝業師」 策士の三木武吉が反吉田包囲網を形成、日本民主党(鳩山一郎総裁)結成するも通信手段が悪かった当時、外遊先の吉田総理には永田町政局の動きがしっかり伝わらず、帰国後に野党提出の内閣不信任案に対抗、衆院解散・総選挙を模索するものの、「吉田学校」側近に解散権を封じられ失意の退陣、内閣総辞職に追い込まれた。

半世紀以上経つも、縁ある登場人物やら状況が酷似 ?!

相違点といえば、超一流の策士不在と側近の質の悪さ、これが、「植物人間」同様の内閣延命に繋がっているのは不幸の極み、『 Oh , My God !! 』

Comments: コメントを投稿

<< Home

Powered by Blogger